2009年6月19日金曜日

お母さん

一昨日から一泊で長野から母が上京していた。

今回の旅の目的は、「脳」。
浜松町にあるクリニックに行くためだ。

この先生、非常にユニーク。
Oリングをしながら、患者さんの脳の状態を
透視していく。レントゲンなどは全く使わない。

Oリングの反応が出た場所が、問題の起きている部分で、
カルテに色々書き込みながら、説明してくれる。
私も一緒に診察してもらった。なかなか面白かった。

母は、ここの所物忘れがひどく、
自分は認知症になってしまったのではいかと悩んでいたらしい。
先生に診察してもらって、何だかとても安心した様子だった。

帰りに吉祥寺に寄り、久しぶりに親子水入らずで食事をした。
仕事のこと、家のこと、身体のこと、
自分の話をたくさん聞かせてくれた。

物が捨てられないのだという。
何十年分もの荷物を、使わないと思っていても捨てられない。
今後来るかもしれない厳しい時代に、子供達が困らないように。
成人した孫に着物を仕立てるために。
そんな思いで、古い反物やらなにやら仕舞い込んでいるらしい。

店からの帰り道も
「捨てられない、捨てられない」と何度も言っていた。
その姿は可愛らしい娘のようで、思わず笑ってしまった。
母にとっては、仕舞い込んだ荷物が心の支えだったのだと思った。
貧しい時代を生きて来た。
よそ様に笑われないようにと、身を固くして生きてきた母。
子供には切ない思いをさせたくない、
人並みに、そんな思いがひしひしと伝わってきた。

若い頃には、その思いが負担に感じたこともあった。
もっと明るく、自分の人生を生きてよ。
そんな、生意気なことを言ってしまったこともある。

今は、純粋で、誠実で、情深い母に
ただただ、愛情を感じる。大好きだ。
やわらかな胸に抱かれて安心していた頃の、
ひたすらお母さんが大好きな子供に戻れた気がする。

思春期から取り組んだ、両親との戦いの儀式が
そろそろ終わりを迎えようとしている。
自由を手に入れると同時に、
もう、全て自分の責任という不安や淋しさがある。
反抗とは甘えさせてもらっているということなんだな。
年を重ね、親を乗り越えたような気持ちになっていたけれど、
やっぱり大きな胸を借りていたんだなと思う。

散々捨てられない話をしていた母は、
次の朝、「タンスの引き出し一段づつからやってみるわ」
と決意を固くして帰って行った。




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