2009年2月28日土曜日

障害ということ

先日高校時代の同級生から電話があった。
彼女は脳と心に障害が少しある。
月に数回程度の電話と、ときどきメールが届く。

いつも、「私はみんなと違うから」と悲観的で、
自分の人生を嘆いている。
励ます私の言葉は、次の瞬間むなしくかき消される。

今回も何度か同じような恨み節のことばが出て来た。
ただ、いつもと違ったのは、私も落ち込んでいたということ。
彼女の愚痴よりも、私の愚痴のほうが多かったのではないかと思う。

「落ち込んだりするんだね」ぽつりと言われた。
そして唐突に「私のこと可哀想だと思う?」と聞かれた。
こういった会話の流れの飛ぶ感じが、障害の特徴なのだと思う。

少し考えて答えた。
「可哀想だとは思わない。こだわりが強くて大変だと思う。
そして私も良く似ている。」
最後の一言は、すごく腑に落ちる感じだった。

今まで幾度となく彼女の電話に付き合い、
ずっと変わらないのかなという思いと、
何とか自分を(自分の障害を)受け入れて欲しいという
傲慢な思いがあったように思う。

この時は
「例えば短い足を長くしたくて引っ張っているようだ。
頑張ってもどうにもならないことに執着して、
そこから離れられないでいる感じだ。」と伝えた。

すると、彼女がぽつりと
「頑張っても変えられないことを、障害って言うのかな」
と言った。

私たちの人生にはどうにもならないことがたくさんある。
日本人の私はアメリカ人の姿にはなれないし、
音域の狭い私の喉ではオペラ歌手のようには歌えない。
理想の自分にがあったとしても、
完全にそれになりきることは出来ないのだ。
全員がオペラ歌手のように歌わなくてはいけない世界だったら、
私は障害者ということになるのだろう。

障害があり、不便だったり不調だったりすることは困る。
治療やリハビリや、他者の手助けが必要だと思う。
でも、何かが欠けていること、人と違うということ自体は
かなり自然なことなんだなと改めて思った。
それよりも、欠けている部分にこだわり、
執着してはなれない状態の方がよっぽど問題なのだと感じた。

「完璧主義なんだよ」と、私はよく周りの人に言われる。
理想のあるべき姿があって、
そこから外れる自分や周囲を許せない。
そしていつも嘆いている。

そうか〜彼女のこだわり、頑固さにいつも閉口していたけど、
それって自分の姿だったんだ!
今の自分を受け入れられない。愛せない。感謝できない。
そんな自分の姿がよく見えてきた。


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